蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

中上健次著「宇津保物語」を読んで

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照る日曇る日第632回

 

鞍馬の北山の大樹の「うつほ」に母親と主に棲み、獣に琴を聴かせて育った藤原仲忠という琴の名手が、いつしか摂関政治の頂上に迫ってゆくというこの下剋上、逆貴種流離譚に魅せられたのは、「宇津保」すなわち「空洞」であると作者はいう。

 

「うつほ」は窪であり、空洞であり、後退地、避難所、隠れ家であり、繭であり、コクーンであり、そこで誕生と新生が準備される子宮でもある。

 

おしなべて人世で必要なのは、人が生き、営み、戦い、消耗する場としての「露地」と、痛み傷ついた身をいたわり、新たに賦活・再生させるための場としての「うつほ」なのであろう。

 

 長いようで短い露地生活でそうとう痛めつけられた私は、いま湘南の陋屋の狭くて小さな「うつほ」に起き伏しして老残の身を養い、惰眠を貪りながら異界の果てから最後の裡たたかいに身を投じようとかんがえているのである。

 

 

なにゆえにペールギュント組曲をペール/ギュント組曲と発音するのかアナウンサーよ 蝶人